新型コロナウイルス感染拡大の第一波が収束しつつある。幸運なことに自粛期間も変わらず仕事を続けることができた。むしろ、オンラインのコーチングの依頼が増えたことで、平時よりも時間に追われたかもしれない。
自粛期間を自分と向き合う時間に割り当てた方が、現状を変えるきっかけを求めてコンタクトを取ってこられた。
情報過多の時代。変化の方法は書籍やネットにあふれている。しかし、一般論を自分に当てはめることは思いのほか難しい。自分に最適な方法を見つけ、現状に合わせて最適化する難しさにふと気づくと、ページをめくる手が止まる。
人が生活する範囲は限られている。人生は旅に例えられるが、実際に世界中を旅している人は皆無に等しい。ほとんどの人は学校や会社や家というルーティンの中で生きている。子ども時代の部屋を少し広げただけで、限定的な空間のなかで毎日を過ごしている。いつしかその部屋が世界と入れ替わる。
その部屋に息苦しさを感じ、そこから一生出られないのではないかと思い始めると、身動きが取れなくなってしまう。自分がその部屋から出たいのかすらわからない。ただ息苦しい。
耐えることが努力である。その錯覚に陥る生真面目な人々は、融通を奪われ、部屋の隅へ隅へと追いやられる。その錯覚の鎖を自力で断ち切った人だけが、現状を変える方向へと踵を返し、努力を振り分ける。
部屋の外はどうなっているのか。その部屋のドアはどこにあるのか。鍵はかけられているのか。外に出るべきなのか、部屋を整理するべきなのか。
その漠然とした息苦しさが続けばいずれ窒息する。薄々そう感じていた人々にとって、自粛期間はその予感を確信へと変える十分な時間だったのかもしれない。
オンラインという限られたコミュニケーションツールしか残されていないことも、オンラインコーチングに向かわせた原因であるだろう。
しかし、言語化を苦手とする人が多い中で、初対面の相手にコーチングを望む人々がコロナ禍以前より増加した事実は、社会に大きな地殻変動が起こりつつある兆候と受け取れる。
初対面の人とコミュニケーションは億劫で気遅れするという人の重い腰を上げさせるほどの危機意識。やがて手詰まりになって投了するという相談者の焦りを等しく感じる。
コーチングは相談者の死角から、その現在と未来を見て、相談者自身に言語化させるプロセスをたどる。
相談者が住んでいる部屋を真上から眺める。そこに時間のベクトルを与える。その二つの視点で質問を繰り返し、相手に言語化させることで、現在と未来を整理する。言語化によって状況が整理できれば、息苦しさが消える。ドアの場所がわかるようになる。いつでもドアから外に出られるという安心感ぎ、息苦しさが消える。
状況を変えるとは、自分を変えること。相談者毎にルートや方法は異なるとしても、コーチングはその最終地点に行き着く。
しかし、その最終地点の先に進めるかどうかは本人の戦う意思による。進み方のヒントを手に入れ、道しるべが見えたとしても、そのままの自分であり続けようとする自分に対して戦いを挑むことができるかどうか、そこにかかってくる。
“Experience is the best of schoolmaster, only the school-fees are heavy.”
「経験は最良の教師である。ただし授業料が高すぎる。」
新渡戸稲造に多大な影響を与えたトーマス・カーライルの格言が示唆するように、多くの人は多大なコストと引き換えに、経験を通じて自分を変える。
変化が大きすぎる時代は、より一層、経験のコストを必要最小限にとどめて自分を変える必要に迫られる。安定した時代とは異なり、経験から全てを学ぶ余裕はない。経験というコストを最小限にとどめ、学びによって自らを自在に変えていける人が、幅広い世代から優れた人として敬意を払われるだろう。
自分を変えることは、自分を失くすことではない。
(了)