To the mentors of the future

全世代の「教育力」を高める教育コーチのブログ

「聡明である」ための条件

 

相手がどう質問に答えるかよりも、どんな質問をするか。質問力という言葉もあるように、質問に答えるよりも、質問をする方が難しいように思います。

 

 

「質問に答える」のは言葉だけの受動的行為ですが、「質問をする」のは言葉と行動が伴う能動的行為です。その二つは似ているようでいて大きく異なります。

 

 

わたしの仕事のほとんどは質問と繋がっています。質問をすれば、相手は質問に答えてくれます。そのやり取りを通じ、相手の考えを把握しながら、より最適な質問を絞り込みます。質問と答えというボールのやり取りを行うことで、自分の本心に気づきます。

 

 

質問は生産的で成長を促す行為です。わたしのように質問を仕事にする人間にとっても、緊張感と覚悟を要します。それゆえ、相手からの質問は真に前向きな意思によって生まれたものであることを実感します。現状を変えるという強い気持ちがなければ、質問という能動的行為には結びつきません。

 

 

実際、質問をする習慣がある人は、そうでない人に比べて成長しています。質問をする人は自分ない視点を取り込んで視野を広げていきますが、質問をしない人は閉じた世界の中で自己完結する傾向にあるようです。

 

 

「普段どんな本を読んでいますか」


「この場合、どんな考え方をしますか」


「⚪︎⚪︎の秘訣は何ですか」


「習慣にしていることはなんですか」

 

 

特定事例の見解を尋ねる質問から個人的な質問まで、その内容に関わらず、質問をする習慣がある人の成長率は明らかに高いように思います。

 

 

質問の習慣がある人は問題を抱え込まず、解決能力も高いため、仕事もよくできます。思い込みも質問ひとつで解消するので、誤解に振り回されることもありません。好き嫌い、勝ち負けに支配されにくく、質問によって得た回答を糧として未来に活かすことができます。

 

 

何を質問に任せるべきか。何を試行錯誤に委ねるか。時間の有限さを念頭に、この二つを取り違えないことを、「聡明である」といいます。

 

 

(了)