【質問】
「勉強のご褒美として子どもに物を買い与えるのは良いことですか?」
【回答】
これは状況によります。勉強のご褒美として物を買い与えるのは良くないという意見も根強いですが、わたしは必ずしもそうは思いません。
子どもに限らず、モチベーションを保ち続けるのは至難の業です。私が企業の新人研修や管理者研修を引き受ける際には、モチベーションの保ち方や高め方について積極的に触れることにしています。
勉強にせよ、仕事にせよ、一つのことを成し遂げる人には例外なく「グリット」と呼ばれる力が備わっていることが知られています。あきらめずにやり遂げる力のことですが、この力は二つに分類できるように思います。
ひとつは、生来の根気強さ。もうひとつは、モチベーション維持のうまさ。
後者は環境と言い換えてもいいでしょう。周囲がモチベーションを保てるように工夫し、グリットを高めることによって、自律性が身に付く。自律性とはセルフコントロールとも言い換えることができます。
人間は常に全力でモチベーションを保てるわけではありません。1日という短いスパンの中でさえ、疲労や空腹だけで、たやすくモチベーションは揺らぎます。それほど意思力は脆いのです。
鞭を打つだけでは限界があります。たとえ自分に鞭を打つ場合だとしても、同じことです。気持ちは大丈夫でも、体が無言の悲鳴をあげていることもあります。とくに子どもは自分の気持ちを上手に伝えることができないため、厳しい目標はモチベーションではなく負担になることも珍しくありません。
気晴らしに、ゲーム感覚で、楽しみとして、潤いとして。ときには子どもに努力のご褒美を用意するのは機微や機転に通じるものがあります。子どもが大人になったとき、そういう思い出が愛情のひとつとして自分を支えてくれるものです。
気をつけたいのは、まず努力を褒めること。頭の良さを褒められる子どもより、努力を褒められる子どもの方が伸びるという研究結果も報告されているように、結果がご褒美の条件だとしても、努力のプロセスを何より褒めてください。
しかし、それが常態化するようになると話は変わってきます。物を買ってもらえるから勉強する。それはもはや勉強ではなく、取引です。取引は勉強の本質ではありません。
物事の本質を外した行為は、成熟の速度を弱めます。子育てや教育の最終目標が人間力である以上、子どもの人間的成熟を後押ししない言動は、子どもだけではなく親の人間力も停滞します。
勉強は権利です。しかしこれを親自身が完全に理解し、子どもに伝えるのは相当大変です。教育の機会を奪われている国々の子どもたちの現状を踏まえ、教育の重要性を本質的に理解していなければ、子どもに響く言葉として伝えるのは難しいでしょう。勉強は権利であり、勉強できる環境が当たり前のように整っていることは幸運なのだというポジティヴな認識を持ちにくい環境だからです。
ほとんど子どもたちは「勉強の義務化」から始まり、そのうちのごくわずかがそのような「勉強の権利化」に行き着きます。
義務はネガティヴの起点ですから、モチベーションはだいぶ低いところからスタートしています。勉強に対するネガティヴな印象を取り除く手段のひとつとしても、ご褒美は有効であると思います。
しかし、子どもの勉強と親の怒りを結びつけることが習慣化してしまうと、せっかくの努力も水の泡。せっせとネガティヴな印象を勉強にすり込むようなものですから、ますます勉強を嫌がります。
勉強の権利化と義務化に隔たる大きな溝をいかに埋めるか。これが勉強に対して自律性のある子どもを育む大切な視点となります。
これを「勉強の趣味化」と名づけるとしましょう。幼児のころから外の世界のいろんなものに興味や関心を持つような感性を育む。面白いと思ったひとつが、たまたま勉強となっている。勉強ができる子どもの多くに共通して見られる様子ですが、グリットの芽はここから生まれます。
(了)
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